第1回 仕事インタビュー 森井さん(1)
- ■森井さん プロフィール
- 1981年10月5日生まれ、現25歳。奈良県天理市出身。
関西学院大学を卒業後、地元である奈良県の消防署に勤務。
救急隊の一員として、さらには救急救命士を目指して日々活躍中。
(ちなみにインタビュー記事はすべて本人の関西弁のままを記述)
医者じゃないから医療活動はできない -3つの種類からなる消防士
今は奈良県の消防署で消防士をしてます。消防士っていうても、火消しをする消防、レスキュー隊、救急車に乗る救急って三種類あんねん。そこで俺は救急志望でやってきて、今で三年目になる。これからは救急の勉強をいろいろして、救急救命士の資格を取りたいな。5年以上働かんとこの救急救命士の資格は取られへんから、予定としては二年後かな。
俺らの仕事には、救急救命士じゃないとできへん業務っていうのがいっぱいあんねん。たとえば点滴打ったり、呼吸止まってる人に管を通すこととかっていうのは普通の救急隊員はできへんねん。基本的に俺らは医者じゃないから、こういう医療活動はできひんねんけど、その中のいくつかを許してもらうっていうのがこの救急救命士やねん。
一番気つかってるんは「しゃべること」 ― タメ口を使う?
俺らって、いつも患者さんがしんどい時に呼ばれるんよ。本人はしんどいから呼んでるわけで、助けてもらっても感謝してる余裕なんてない。でも助けにいって、家族とか周りの誰かが喜んでる姿を見たり、感謝してもらえた時は「やっててよかった」って思うな~。
あと患者さんは弱い立場の人やから、俺らが行ったとき、その場でいくらでも偉そうにできるわけよ。やっぱり偉そうにする人もたくさんおるで。でも俺はやっぱり同じ目線でいたいと思う。対等にしようって意識したら逆によくないねんけど、俺らが救急隊としてできることって限られてるんよ。「救急隊」っていうことで患者さんのところに行くけど、お医者さんみたいに治療ができるわけちゃうからな。だからこそ、しゃべることには気遣うな。たぶんしんどい人って、しんどいけど言葉遣いには敏感やと思うねん。だから悪い意味じゃなくて、人によって言葉は使い分けた方がいいと思ってる。働き盛りのおっちゃんに年下の自分がタメ口で話したら不満やと思うんやんか。でもおばあちゃんには逆にタメ口の方がいいと思うねん。タメ口で話すなって、先輩に怒られたこともあってんけど、俺は逆にいいと思う。おばあちゃんやったら、俺のこと孫みたいに思ってくれて「おばあちゃん、大丈夫か?」って言っても親近感沸くと思うしな。やっぱり親身になって話かけた方がいいんやろなーって思うからな。
救急車の限界 ― 5分半から6分という時間
力のなさは毎日感じてるな。医者じゃないから薬は処方できひんし、手術もできひんから。しかも日本では救急車って電話かけてから現場につくまでに平均5分半から6分かかるわけよ。でも人が心臓と呼吸が止まってから、2分以内に何かの処置を施さないと社会復帰できないって言われてる。この出動してから現場までの5分間っていうのは、なかなか縮められへんねん。だから周りにいる普通の人が人工呼吸や心臓マッサージできるようにしていかなあかん。そうすれば助かる可能性高くなる。そういうこともあって、休みの日には救急講習もやったりしてんねん。
俺自身はそういった状態に陥った人を社会復帰させたことはまだないねん。ある話やと救急隊が最近街中に置かれ出した電気ショックの機械を使って、倒れた人を蘇生させたらしいねん。するとその人が意識を戻して救急隊を見て怒り出した。当然それまでその人の意識がなかったんで、救急隊員に向かって「お前、何してんねん!!」と(笑)。笑い話やけど、そうやって人を助けたっていうのは羨ましいと思うな。今は自分の技術をちゃんと身につけて、いずれそういう現場に出くわしたいと思ってる。でも人が倒れるということを予想して現場に行くわけにはいかんから、そういう意味での力のなさを感じることもあるけどな。
精神的な辛さ -周りの人を思い出す
この仕事やってて、ほんまに辛いのは精神的なことやな~。消防署訓練とかも、厳しいと思うことはある。けど体力的な厳しさっていうのは、限界があるから無理なもんは無理やねん。だから別になんともない。でも患者さんと接するようになって、現場に行くようになってから精神的な辛さを感じたな。たとえば自殺した人の現場に行った時は、俺は家族の目とか、周りの目とか、子どもの目とかが気になってしまうねん。それは俺がまだ未熟やからかもしれんねんけど。
自殺じゃないけど、今までで一番印象に残ってるんは、母親と子どもの二人が乗った車の事故現場やな。子どもが助手席のチャイルドシートに乗ってて、運転してた母親だけが心肺停止状態。子どもはまだ物心ついてないから、なんも分からんと横で笑っとってん。現場で子どもの笑顔っていうのは、すごく不釣合いでな……。いつかこの時のことが分かってくるんやろうなって考えると辛いな……。やっぱりその人自身がどうこうじゃなくて、周りの人のことを思い出してまう。そんなん俺らの仕事には全く関係ないことやからな、ひょっとしたらどうでもいいことかもしらん。俺らは患者さんのことだけに全力を集中させていればいいわけやからな。
消防の雑誌を読んでたら、全国の救急隊員の6割がPTSD(心的外傷後ストレス障害)っていう調査結果が出てて、トラウマになって夜中にうなされるらしいねん。症状の軽い人も含めての数字やと思うけど、ひょっとして現場のことを帰ってから思い出すことがこれに当てはまるんなら、俺もかかってるんかもしらん。救急隊員の仕事としては、亡くなったおかあちゃんの子どものことなんか全く関係ないことやもんな。
命に携わる仕事がしたかった ―高校時代は獣医を目指したが…
結構みんなは消防士に入ったからには、「いつかオレンジ服を着たレスキュー隊になりたい」っていうのが夢らしいねん。でも俺は入ったときから救急になりたいと思っててんな。
実は高校の時には獣医さんを目指しててん。でも学力が全然足りなくて、受験直前の模試で全部D判定が出てしまってな、無謀やと思ってあきらめた。だから俺はずっと消防士になりたいと思ってたわけじゃなかってん。いざ大学三年で就職活動がはじまった時に、「俺は何をしたいんやろう」って考えた時に、「身体を動かす仕事がしたいな」って思ってな。事務仕事のみたいに座って何かをじーっとすることが性に合わへんと思ってて、やっぱり汗をかいて仕事したいって思った。獣医になりたいって思った時から、命に携わる仕事がいいなって思ってたんやろな。ほんで救急車に乗りたいって思ってん。俺は大学四年間で何かを学んだから職業観が変わってこの仕事に就いたってわけじゃないねん。大学四年間、体育会でアイスホッケーのクラブ活動しかしてなかったからな。消防士になってみて後から考えたら、ひょっとしたら高校の時の獣医っていうのと、命に携わる仕事っていうので関連してたんかも知らんな。

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